スピリチュアルは危険? 10年ハマって抜け出した元信者の失敗談 そこから学んだ教訓

こんにちは、Lです。

恥ずかしながら、私は変なスピリチュアル(新興宗教?)に約10年ハマっていました…。今は懲りて抜け出してますし、スピリチュアルを勧める気は0です。勿論、正しい教えのスピリチュアルもあるかもしれないけど、私は知らないからオススメする気はない。

ハマるとどっぷり浸かってしまう元スピリチュアルガチ勢な私だから出来る為になる話があります!なぜハマったか、なぜ抜け出しにくいか、ハマらない為には?について順に!

※あくまで、私がハマった数あるうちの1スピリチュアルの体験談です。

なぜハマったの?

中学校から人と上手くやれなかったから、消えいりたくなっていました。自分の他人との距離の取り方がおかしいから仲間に入れず、私は傷ついていました。

分かる人はわかると思うけど、中学生ってコニュニティーがほぼ学校だけじゃないですか。だから、そこでうまく馴染めないとメチャクチャ苦痛だ。中学頃から、自我が強まるけど、自分と違う境遇・価値観の人間を受け入れられない未熟さもある。だから、イジメとかが横行するんだろうね。私はいじめられた訳じゃないけど、疎外感が強かった。通信制学校もありだったなあ。でも、それは俺の小さなプライドが許さなかった。「L君は引きこもってるらしいよー」みたいな噂が立つかもしれないだけで許せなかったのだ。(今思えば病的レベルで他人を気にしすぎだった。薬もあるから、ある程度は薬に頼っても良かったかも。)親にも相談出来なかった。

「自分がダサい奴に思われてるんじゃないか?」が苦痛で苦痛で、自分の小さなプライドを保ちたかった学校行かないと噂される、学校行っても仲間に入れない。そう、どこにも逃げ場がなかった。どの道に進んでも辛い(と思い込む)と人は死にたくなる。そんな中、テレビでスピリチュアルや占いブームが起こった。そこでの考えに、私は苦痛から解放された。

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中毒性のあるスピリチュアルの教え

(辛いのは選ばれた人間だから)+(嫌なことの分、後で良いことがある)コンボは非常に中毒性がある。

前者は、この世は修行の場である。魂レベルが高い人間は、重い修行を課しているから辛いという考え

後者は、因果応報的な考えから来ているのかな?。つまり、嫌なことは過去の自分の過ちの清算or運気の貯金のなのだ。だから、嫌なことが全然苦痛にならない

そう、こう考えると、周囲と協調できなくても苦痛にならない。でも、全部自分に都合の良い解釈に出来てしまう。ハッキリ言えば、私は現実を捻じ曲げていた

本当なら、人との関わり方を誰かに相談して、少しずつでも解決策を見つけるべきだった。だけど、当時はメンタルボロボロでそんな気力もなかった。オナ禁していれば「なにくそ!」と持ちこたえる精神力があったかもしれないけどね。だから辛いときは、オナ禁(正確にはオナ減)して逆境に立ち向かうメンタルを温存した方が良い

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スピリチュアルの恐ろしいところ

この発想にハマると、なぜ上手くいかないか原因を正しく分析せずに、テキトーに努力をする。思うように結果が出なくても、後でその分デカいリターンがくると思い込む。

さらに、他人と向き合わなくなり、ますます自分だけの世界にこもる。初めのうちは他人と調和できない自分を冷静に振り返れる。だけど、そんな浮いた自分を引け目に思い、次第に自分の心が耐えられなくなる。そうなると、なんとか自分の心を保つために、周りの人間はレベルが低い(=自分は間違っていない=自分はレベルが高い)って考えに拍車がかかる。私はどんどん一人よがりな方向へと突き進んでいった。(ただし、これは自分が人と上手くやれない不器用さ・弱さと相まってだけど)

そもそも、 人はいきなり大正解な生き方なんてできないだろう。どこかでつまづき、他者から指摘をもらって、「ああ、私は間違っていた。教えてくれてありがとう」と気づくものだ。人生は軌道修正の連続で、他者が必要なのだ。

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スピリチュアルと脳科学は相性が悪い?

そもそも近年、スピリチュアルの教え?は無理が来ていると思う。スピリチュアルではだいたい、(性格の良さ)≒(魂のレベル)じゃないかな?。

だけど、発達障害はどうなんだろうか?。本人は悪気はなくても、周りから見たら協調性がないや空気を読めない。昔は、発達障害という概念があまり浸透していなかった。だから、私が依存していたスピリチュアルの教祖サマ?も「発達障害?、そんなものはなくただの甘え」と断言していた。だから、私は大学研究室で成果が出ないこと・周囲と上手くやれないことを甘えにしてはいけない、「もっと精進(?)しよう」と謎の解釈をしてあさっての方向へ突き進んでいた。その結果、頑張りすぎてうつ病になった。それなのに、うつ病になっても教祖サマは「どうやら私の言った事の解釈が間違っていたようですね」的なコメントだった。一方、私も私で反省?していた。

そして時は進み、発達障害は脳の問題と科学的に明らかになってきた。そうなると、なんと教祖サマは、「元々発達障害者を甘えだなんて言ってませんよ」アピールが始まり、目が醒めた。私の無駄に苦しんだ時間を返して欲しい。自称教祖・霊能者はいるけど、スピリチュアルでお決まりの「(性格の良さ≒魂のレベル)」と「発達障害」について説明できない(適当にボカしたままにする)なら、私は全くアテに出来ない

でも、時には現実逃避したくなる気持ちも分かる

どう考えたって、人生ベリーハードで生まれている人間はいる。そんな人に「あの世や因果応報なんて本当にないのか?」って聞かれても分からないし、証明も出来ない。

私は、「まあ、あるかもね」くらいに留めてる。仮にあの世があるとしたら、はたから見たらちっぽけな人生でも、人(自分と他人)を大事にして生きたことは「客観的」に評価してくれるはずだ。

なぜなら、遺伝子レベルで見れば、人には得意・不得意があるんだから、その人間が人生でどれだけ頑張ったかを年収・名誉とか「成果」だけ判断できないのは確かだから。科学が進歩すればスピリチュアルに頼らなくても、不必要なことで傷つかずに済むこともある!

間違った道に行かないには?

辛いときは、「きっと次は良いことあるはずだ」と根拠なくても思いたいのは誰だってそうだ。認知行動療法のような、物事の捉え方に気をつけることは大事。何でもネガティブに捉えることは良くないからね。こういうことを説く宗教は多い。だから全部が全部を否定できない。

でも、「一人よがりや自分だけ都合が良いプラス思考」と「状況を客観的に見た上でのプラス思考」の線引きはヒジョーに難しい

そこで知っとくべきなのは、心が弱っているときは、知らずとも現実逃避な解釈になってしまう。少なくとも、他人に「それはおかしくない?」と言われる考えは危険。だから、どんなケースでも、他人と関わりが要る。(中学の私のように関われないケースもあるけど、なんとか解決の糸口を見つけようとせずに、独りよがりの世界に突っ走ってしまったのがダメだった。)

辛い人生・結果は出せなくても、いろんなコミュニティーの人との関わりの中で、解決策を模索する。人生上手くいかなくも、「あなたは頑張ってる」とみんな(教祖一人ではなく、いろんなコニュニティーの人間に)に「認めて」もらえる生き方が大事。と今は考えている。

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補足・なりふり構わずスピリチュアルを否定するのは危険

気をつけないといけないのは、今スピリチュアルに頼っている人もいる。そういう人にスピリチュアルなんて嘘ですよと論理的に力説したら、その人は生きる支えをいきなり失うからとても危険だ。

だから、大事な人が怪しいスピリチュアルにはまっているなら慎重に正しく現実を見れるように引き戻す必要がある。

私だって、言うなればスピリチュアルに延命治療をしてもらった。(性格がより歪む副作用付きだが。)私がハマったスピリチュアルは多分マイルドだから、マシだったのだろう。怪しげな儀式・変な壺を買わされるとかはない。ただ、この世の真相?を踏まえて普段の生活を送りましょう的なカンジだった。そして、自殺は絶対ダメと言われていたから、傷つきながらもここまでとりあえず「生きて」これた。中学校でこういう教えに出会わずに、溜まりに溜まったストレスが爆発していたらどうなってた?と思うと怖い。だから、私の中ではスピリチュアルには功罪がある。

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