「ゲイ辞めたい」同性愛者から異性愛者になりたい人の存在

 今の世の中、LGBTの認知が広まりつつある。しかし、LGBTには色々な考え・希望の人がいる事を知ってほしい。

私は変わった両性愛者(クロスオリエンテーション)

 私が取材してもらった記事です。“恋愛対象と性的対象が一致しない”セクシュアリティの苦悩。「矛盾した感情に、毎日がストレスフル」

 強いて言えば、私はLGBT内の両性愛者(B)です。異性愛者か同性愛者に生まれていれば、こんな悩み方はしなかったと思います。キンゼイレポートというものがあり、これによると人のセクシャリティはグラデーションであると説明しています。脳は女性から男性に性分化すると聞いたことがありますが、おそらく私は中途半端であり誰かを100%で愛せない。これは結構辛い。

恋愛対象と性的指向が食い違うことの意味について

 男女の恋愛こそ正しいという固定観念に囚われている訳ではないです。私は異性愛者になって女性を100%で愛したい、これが本心です。それなら、「男女問わず多人数と付き合えば良いのでは?」という意見もあるが、重婚やポリガミーを良しとする風潮にしたい訳でもない。

私は異性愛者になりたい

私が取材してもらった記事です。「性的指向を変えたい」29歳男性が見た深い断絶

実は似たような方は結構います。私だけじゃないのです。

今日で同性愛をやめる

ゲイだけど女性と結婚したいんです。

ゲイを辞めたいのですが・・・

ゲイ男性が語る「ゲイだけど女性と結婚して幸せ」

男性の恋愛感情が理解できない

 両性愛者(B)・クエスチョニング(Q)の中にも「良く考えれば私はクロスオリエンテーション」という人は少なくないと思う。割合で言えば、両性愛者・クエスチョニングが多いのだからもっとスポットライトが当たってほしい。)また、「ゲイよりのバイセクシャル」や「レズビアンよりのバイセクシャル」と自称する人には、実はクロス・オリエンテーションな人が多いと思う。性的指向と恋愛的指向分けて表現しないならば、このような苦し紛れな表現になってしまうためだ。

 そして、LGBTの悩みは差別や同性婚ができないことだけでない。それ以外に苦しむ当事者がいる事を知って欲しい。

「理解されることは、あきらめている」 あるゲイ男性の静かな絶望

「ゲイは障害者だ」と訴える44歳男性の貧困

「友達の多いノンケに生まれ変わって普通の家庭を築きたい」と悩む55歳ゲイの男性と「寂しさ」について考える

LGBTだけど正直放っておいてほしい。

「LGBT は全て個性」への反論

 「LGBTは個性」「LGBTは生きづらい」という主張をテレビ・ネットでよく耳にする。ただ、生きづらさの原因は周囲からの差別だけではない。今のLGBT活動家の主張方法は当事者の”生きづらさ”の原因を全て「周囲からの無理解・差別」へおき換えていると考える。それさえなくなれば・同性婚さえ出来れば、全て解決・幸せの様な論調になっている。

 私はLGBTゆえの生きづらさは確かにあると考える。注意したいのは、LGBT は個性と言い切るとこれら苦悩が見えなくなる。そして、LGBTが個性か生きづらさに繋がっているかは人それぞれなのだ。順番に考えていこう。(以降は統計調査をした結果ではないが、LGBT一当事者としての客観的な考察を記載する。)

何においても少数派は辛い

 LGBTでなくても、少数派というのは社会で何かと生きづらいものだ。少数派の苦悩は「周囲の無理解とそれゆえの差別」・「社会で少数派は我慢を強いられる」「みんなと同じ輪に入れない疎外感」ではないか。ただ、最後の2つについては、多数派が悪い訳ではない。例えば、映画におけるLGBTのキャスティングについてだ。

ピクサー従業員が告発「ディズニーはLGBTQIA+キャラを意図的に排除している」 ←この記事のYahoo!ニュース

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 そう、残酷な事実だけどあらゆる属性において少数派は、一歩引いた・わきまえた生き方をせざるを得ない。だからある意味、JR東日本へ抗議した伊是名氏の過激なやり方には賛同できないけど、「わきまえたくない」というお気持ちは分かる。

 また、「少数派にも当然配慮があるのが先進国だ!」という意見もある。しかし、オブラートに包まず言ってしまえば、経済的に豊かだから配慮が出来るのだ。最近のコロナ禍・ロシアのウクライナ侵攻など経済・世の中が不安定な時は、少数派・社会的弱者への配慮が難しくなる。他にも、「苦境から学べることがある」という考えもあるが限度があろう。メンタルの成長は筋肉の成長と同じ、と私は考える。筋トレで筋肉に負荷をかけすぎると返って分解してしまうそうだ。

属性(LGBT)ゆえの苦悩もある

 「疎外感」の中にはLGBTゆえの苦悩が追加される。恋愛が絶対に成就しない人(異性愛者)を好きになったり、男女の結婚・出産・育児のライフプランが送れないこと。親はどう思っているか。次世代に子供を残せす社会的な役割を果たせないこと…。また、同性愛にどうしても嫌悪感を持ってしまう人が一定数いる事は事実だ。それを公の場で言うのはダメでも、内心まで否定する事もダメである。…など。一方で、ゲイ・レズビアンは子育てしなくていいから気楽で良いという意見もある。だが色々ある人生の幸福感の中で、社会的な役割を果たして満たされる幸福感のウェイトは年齢を追うごとに大きくなると思う。周囲からの理解がどれだけ進んでも、このような疎外感はなくならない。

個性と主張する考えも分かるが…

本人の自尊心のため 

 一方で、障害ではなく個性と言いたい考えもわかる。ただ、言ってしまえばそれは苦悩を感じなくする為の裏返しでもある。まずは、発達障害を例に取り考えてみよう。下記引用は後天的に高次脳機能障害になった鈴木大介氏の意見だ。

 「発達障害は脳の凸凹」「障害ではなく個性」といった言葉について、どう思われるか? 

ー省略ー

 ハッキリ言って僕自身は、勘弁してくれと思う。理由は、「それは障害ではなく個性」と安易に言い切ることは、実際に今の世の中で生きていく上で当事者が感じている苦痛を「ないこと」にしかねないからだ。

 もちろん、障害という言葉に含まれる差別的なニュアンスや、それによって損なわれる自尊心を守りたいという意図は分かる。社会がその特性を障害化させない環境になることは理想だし、家庭内や学級内といった限られた環境でそれを実現に近づけることはできるとは思う(実際、本連載は我が家でそれを試みた書籍のプロモーション記事として始めた)。

発達障害の当事者が受けている「理不尽」の正体…なぜ「理解してもらえない」のか?一部太字で強調

 これと似た観点について、「感動ポルノ」という概念を考えたい。とあるテレビ企画で身体障害者に寄り添うシーンを手放しに素晴らしいと思い観ていたが、後から私は浅い見方をしていることに気が付いた。“障害と名前がつくと、無意識に相手を下に見てしまう”問題がある。

 感動している人は100パーセント善意、好意なのだろうが、心理学的に見ると、その心の底には偏見差別の心が潜んでいることがあると言われている。

「感動ポルノ」はダメなの?:24時間テレビとバリバラの間で:無意識の差別と障害者の教材化

 つまり、私は五体満足で産まれたが、それは努力してではなく運が良かっただけだ(身体障害者も然り)。それを踏まえて、もし逆の立場だったら、どう接すればお互い気持ちが良いかを考えて行動しないといけないと思った。同様に、LGBTにおいても気をつけたいテーマだ。よく話題に上がりがちなのが、「私はLGBT に理解ありますよ!」といわゆる意識高いアピールだ。(仮に偽善でも配慮してもらえるならありがたいが、)当事者には複雑な思いがある。

疎外感をなくすため

 次に、個性と言い切る理由は、「自分たちは人と違うマイノリティではないと思いたい」ためでもある。下記引用は、トランスジェンダーであり『先生と親のためのLGBTガイド』著者の遠藤まめ太氏についての兵頭新児氏の意見だ。 

 また読者に想定されている教師や親に対しては自分を同性愛者ではないかと悩む生徒に、「性的指向を自分の意思で変えることは困難」「今後も同性を好きになる可能性が高い」といった「事実を提供」することを(125~126p)推奨しています。ここには著者のとにもかくにも青少年をLGBTに引き入れたい、との情念が先行しているように思われます。

一部省略

 LGBTがそうした考えに飛びつくのは、「自分たちのあり方は本来、普通のものであるにもかかわらず、不当にマイノリティーへと追いやられたのだ」と考えることで自分は「人と違うマイノリティー」などではないのだと思いたい、という大変に切実な感情に追い立てられているのではないかと思います。

「トランス育児」はトンデモ育児【兵頭新児】一部太字で強調

 このような疎外感は、LGBTに限ったことではない。あらゆる属性の少数派に共通なのだ。下記は身体障害者の人権活動家の推進方法に対して、兵頭新児氏の意見だ。

 「障害は普通」でなければならないので、社会の方が準備万端整え、赤い絨毯を敷いて自分を迎えに来い、というのが彼女らの――否、乙武さんを含めた、ある種の障害者運動の理念を掲げる人たちの共通の思考のように思われます。

 そうした理念、さしづめ「障害は個性」主義とでも呼べばいいでしょうか(或いは「ノーマライゼーション」といった表現でいいのかもしれませんが、ぼくには不勉強で判断がつき兼ねるので、ここでは取り敢えずそのように表現します)。

 こうした理念の根底を支えているのは、自分が他の人たちと同じ、普通の存在であると信じたいという、身を焦がすような情念でしょう。そんなにも普通が好きなのであれば障害を取り除くことで普通に近づけばいいのに…と思うのですが、それが必ずしも適う者ばかりではない。そうした時、「いや、しかし私はこの障害を抱えたままでも普通の人間として扱われるべきなのだ」との心理が暴走してしまい、非現実的な主張につながってしまうのではないでしょうか。重度の身体障害は、極めて大きな健常者からの疎外感を当人にもたらすことでしょう。それを受容することがどれだけ辛いことかは、ぼくには想像もつきません。

【兵頭新児】「障害は個性」を利用する左派の欺瞞

 以上の様にLGBT一当事者が分析すると、LGBT は「個性」か「生きづらさ」か…個性と言えども影に苦悩があり、本人にもアンビバレントな思いがあるのだ。

 一方で、当事者でない人は実態が分からないため非常に気を使う問題だろう。そのような中、「私たちの生きづらさの全原因は周囲の差別だ」と言われれば近寄りたくなくなる。それに、ポリコレに従って「全部個性ですね!」とした方が”一見”誰も傷つかずに楽だが、それでは問題に蓋をしてしまう(=何が問題か見えなくして、両者で話し合う機会をなくするけど、解決したことにしてしまう)。

「LGBT は個性」と言い切ると、新たな問題が出てくる

 さらに、私はLGBT は全て個性と言い切ることで新たな問題が出てくると考える。同性愛が個性ならば、結婚、子育て…、代理出産と本人達の希望はどんどん膨らむし、いずれは国は認めないといけない。しかし、子育てについての父母の重要性について研究報告がある。また、実は同性同士の遺伝子から子供を作ることはネズミにおいて成功している。しかし、人間もとなれば倫理的なハードルは非常に高いがどうするつもりなのだろう?(私は反対だ)

 次に、トランスジェンダーについて考えよう。(私はトランスジェンダーではないから、実際の所はわからない。)個人的に大変と思う点は、既に物議を醸しているスポーツ競技への参加銭湯問題以外にも、恋愛・結婚問題がある。(結局、トランスジェンダーのスポーツへの参加を禁止したアメリカの州もある。)

 海外では下記の様にトランスジェンダーと恋愛しない異性愛者は差別的だと言われている。どれだけ容姿が整っていても結婚相手を見つけるのは難しい。なぜなら子供が出来ないから。相手が将来自分の子供が欲しいと思えば生殖能力を持たない相手は結婚相手の選択肢から外れるだろう。そして、男性側も誰とデートするかを選ぶ権利が当然あり、相手が「嫌です」と言えば諦めるしかない。つまり、これは差別ではない。

 そして大事なことがもう一つ、LGBTの人数は増えている可能性がある。

自我異和的同性愛という概念があった

 かつて、アメリカ精神医学会が1980年に出版した精神疾患の診断・統計マニュアル第3版(DSM-3)の性心理的障害項に「自我異和的同性愛」があった。これは、「自分の性的指向が、自分が望む自己像と異なることで悩み辛くて変えたい」と感じる同性愛者であり、この場合は、障害だと判断されていた(まさに私がこれだ)。後に、この「自我異和的同性愛」という診断名は障害としては廃止された。

Homosexuality をめぐって 〜ホモセクシュアルが病気でなくなるまで〜(※←PDF資料がダウンロードされます)

 しかし、先に説明したように、異性愛者に変わりたいと思う当事者は存在する。そもそも時系列で考えれば、クロス・オリエンテーションの存在が明らかになってきたのは最近のことだ。つまりこの原因は、男女恋愛を良しとする古い社会通念のせいで「自我異和的同性愛」者がいると誤解された為に、「自我異和的同性愛者」の診断名が廃止されたと考える。この反論として、「WHOで同性愛は精神疾患でないと結論が出たのだから話を掘り返すな」と主張する人もいるが、それは今までいない事にされていた為だ。そして、私のような人からすれば、30年以上も研究が進まない結果となったのである。

転向療法禁止の是非について

フランスの転向療法禁止の法律成立 

 同性愛やトランスジェンダーを何らかの異常だとみなして治療しようとする転向療法は、近年では科学的根拠のない疑似科学だと考えられており、カナダなど法律で違法化する地域も出てきています。

 こうした動きに続き、フランス国会は1月25日に、転向療法を禁じる法律案を142対0の全会一致で採択しました。この新法は、「性的指向や性自認の修正または叱責(しっせき)を目的とした持続的な取り組み」を禁止するもので、これに違反し被害者に身体的または精神的な影響を与えた者は、最高で2年の懲役刑と3万ユーロ(約385万円)の罰金が科されることになります。

 法律の制定に尽力したLaurence Vanceunebrock議員は、「この法律は、特定のアイデンティティや性的指向を病気と同一視するすべての人を対象としたものです。彼らが治すものなど何もありません」とコメント。

「LGBTの治療」をフランスが満場一致で禁止へ、カナダに続く一部太字・赤字で強調

 当事者にもいろんな意見があるのに、ポリコレは「あなた方には治すところなど何もない!」「ワー!素晴らしい☆」と言い切ってしまうところ…ここがポリコレの本当にダメなところだ。この法律は性的指向と脳の関係を科学的に明らかにすること自体をためらわせる。

私はこの人に同意見である。下記はこの件についてのとある掲示板での感想だ。

 過去に日本でも、LGBから異性愛者へ変更することを公の場で提案した医師が猛批判された。確かに、言葉遣いが一部不適切だったが、全否定すべき考えではないのだ。

LGBT支援を検討する会合で茨城県医師会副会長が「多数派に戻る治療ないのか」などと発言し、批判の声が上がっています

「多数派に戻る治療ないのか」発言の茨城県医師会副会長が、謝罪しました

SNSにて

なぜLGBTを治療する研究は進んでいないのでしょうか?

ナジャ・グランディーバ 親孝行と家族観について語る「ゲイが治る薬があるなら買うと思う」

当事者の”リアル”は世に伝わりづらい

 ネットでは一当事者として日常を語っている人は存在する。ただ、よく調べてみるとセクシャルマイノリティ向けウェディング会社の代表だっだりする。自分達の日常を記事にするのは勿論自由だ。ただ、ビジネスでもあるから当事者のポジティブ・ネガティブな部分全ての”リアル”が記事になっているかというと、そうではないだろう。ある意味、本人の仕事にLGBTが関係していない人の方が”リアル”を語れる。

僕が夫に出会うまで

セクシャリティの多様性を救うのは多様な選択肢ではないか?

 セクシャリティや発達障害の現れ方はスペクトラム(連続体)と言われる。そして、発達障害は「個性」「生きづらさ」のどちらかは人によって分かれる。だから、セクシャリティも本人が「個性」か「生きづらいか」のどちらと捉えるかは人それぞれ(スペクトラム)なのだ。ゆえに、セクシャリティの多様性にも多様な選択肢が必要と考える。

 このテーマは慎重に議論されるべきテーマではあるが、私は性的指向について研究して、本人が望むなら変えられるようになるべきだろう。(但し、科学的根拠があって安全な方法であり、本人が使用権を持つことが前提である。)

マスコミ関係・ライターの方で「この人、気になる」と思った方、お気軽に声をかけていただければ幸いです。

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